|
ちょっと午前中、時間があったので久々にマガジン9条を読んでみました。
ん〜、いろいろな意味であいかわらずですね(笑) ただ、ちょっとびっくりしたのが、みんなでディスカッションが、終了というか休眠というかわからないのですが、しばらく更新されていなかったことです。 あの想ひ出深いコーナーが・・・ねぇ。 まぁ、最後の方はほとんど森正樹さんと十文字さんの対決になっていましたからいたしかたない部分もあるのかもしれません。 いろいろと想ったことを以下、箇条書きで。 (1)雨宮処凛さん連載開始について 雨宮処凛さんが連載を持っていること自体は驚きませんが、内容がちょっと・・・ 世の中の右傾化を社会の不安感と結びつけることが果たして正しいのかどうか。 雨宮さん自身の問題と世の中の問題を混同するのはいかがなものなのかなって想います。 わたしは、中高生の頃からこんな感じの考え方でしたので、世の中が浮かれに浮かれていたバブル期まっさかりも当然当時からすると右側にいました。 でもそれはわたし個人のことであって、だから世の中全体が右傾化していたというわけではありません。 雨宮さんの場合は、自己の存在価値をどこに求めているのかという部分が大きくてそれがかつては右翼団体で、今は、わりとヒダリの方・・・ってだけなんじゃないのかなって、わたしは感じました。 以前にも朝日新聞が同様の切り口で世の中を批評していましたが、本当にそうなのかなぁ?っていう部分で、かなり疑問があります。 今、世の中が右傾化しているってのは、反・反日・・・静流さんのところでいうと"anti-antijapan"ってなだけで"反日"をやめれば、ほとんどの大きな問題は解決するんじゃないのかなってわたしは感じています。 (2)山口二郎さんの緊急提言について 民主党支持者と共産党支持者の間で、浅野さん、吉田さんの代理戦争が行われていることが、知られていますが、山口二郎さんの緊急提言はまさにそれを受けての提言となっています。 山口さんの現状認識は、さすが大学教授というだけあって、世の中の空気を感じてらっしゃるな〜って、思いました。 で、その現状認識を受けての提言はっていうと、
ってことで、まぁ、確かにそれはそうだよなって、わたしも思いました。 それができるのであれば・・・ですけれども。 で、山口さんは同じ文章でこうも書かれていらっしゃいます。
これも確かにわたしもそう思います。 自分が出馬しない以上、よりましな候補を選ぶしかない・・・と。 ただ、反石原ということで大同団結すべきだという山口さんが見落としている点があるんですよね。 "人権無視、側近政治、都政の私物化"と、山口さんが指摘している石原都政なのですが、それでも、浅野さんor吉田さん"よりまし"と感じる都民がどれだけいるだろうか・・・ってことです。 浅野さんor吉田さんより、黒川さんのほうが"まし"だと感じる都民の方もいらっしゃるでしょう。 浅草のおかみさん会の方々などは、その思いで黒川さん支持を打ち出したのかもしれません。 ここのところの世論調査では、石原さんがリードしているとのことですけれども、候補者本人の資質として、石原さんのほうが"よりまし"だよね・・・って、浅野さん吉田さんが思われていたら、これ、どうしようもないことなんですよね。 そのへんに触れずに、反石原票をまとめるべきだっていう提言をしてもちょっと実効性は薄いかなって感じました。 都立高校の復権ってことで、石原都政を評価する人って、案外多かったりするんですよね。 ま、わたしの周囲に限ったことなのかもしれませんけれども・・・ (3)この人に聞きたい 半藤一利さんに聞いたについて
歴史は繰り返すというのはものすごく同意するところなのですが、ここに挙げられている例ってのは、ちょっと無理矢理のような気がします。 1、では教育基本法の改正をあげられていますが、確かに地方の教育に国がある程度の関与をすることになりはしましたが、戦前のそれとはまったく違う形じゃないっすかね。 まだ現状では、地方の教育委員会の方が力が強いわけで。 2、についてですが、通信傍受法や個人情報保護法というのは主に犯罪対策の面が強いわけで・・・戦前の新聞法や出版法の改正といういわゆる"言論統制"とはちょっと別のお話のような気がしています。 3、ですが国体明徴運動と改憲はこれまた別のお話のような・・・今の改憲運動ってのは皇室とはまた別のお話なんじゃないっすかね。 4、のテロなのですけれども、そのテロを当時の民衆が一部支持する動きがありましたけれども、現在では、たとえば加藤紘一さん宅の放火にしてもそれを支持する人っての、ほとんどいませんし、わたしも、バカなことをしやがってっておもいますもん。 ちょっと、無理があるんじゃないのかなぁ・・・半藤さん。 ただ、歴史が繰り返すってのはわたしもそうだなって思うので、朝鮮半島の安定や中国大陸と日本の関係っていう部分で、当時から学ぶべきところが数多くあるのではないのかなっとは思いました。 (4)伊藤真のけんぽう手習い塾について ちょっと、んん・・・って思った部分がこちらです。
国民投票の際の判断基準についての文章なのですが・・・"知性を備えていることが必要"って部分なんですけど、ね。 これってちょっと余計なんじゃないのかなって思いました。 知性を備えていようがいまいが、一票って一票ですよね。 で、一応日本は義務教育があって、識字率も世界中で見てもそれなりに高い国です。 知性って言葉が、なんか、インテリぶっていて嫌だなぁってわたしが感じるだけなのかもしれませんけれども、有権者の決定(=投票)ってのは、皆さんいろいろと考えた結果での行動だと思うんですよね。 そこには当然、皆さんそれぞれ"知性"を働かせた結果が含まれているわけです。 まさか、改憲に投票する人は知性が足りないとは伊藤さんは言わないでしょうけれども、あえてここで知性という言葉を使う必要は無いんじゃないんすかね。 ま、そんなことをおもいましたとさ。 たまに読んでみると、面白いですね、マガジン9条。 |
護憲側は、今までそれで平和だったからよいではないか・・・改憲側はというと今までどおりでは、危ないのではないのか?って感じかな?
これは9条に限った議論で、ですが、それが続いているイメージがあります。
で、十文字さんが、
"護憲派は、論理的で分かりやすい回答を私に提示して欲しいのですが…"
と、おっしゃられていることを、護憲側の方々は、
"改憲派は、論理的で分かりやすい回答を私に提示して欲しいのですが…"
っと、思われていると思うのです。
その象徴が、森さんなのかなって、感じました。
今井一さんは、先日のマガジン9条に掲載された紙上対論でもあるとおり、いわゆる護憲派でありながら国民投票法制定を積極的に進めるべきだという考えの方です。
国民主権のあり方としての国民投票法ということを考えてらっしゃる方なので、十文字さんにきちんとお答えいただいたんだなぁって、わたしは感じました。
今井さんとわたしは、9条に関する考え方は大きく違いますが、十文字さんが書かれた、
"9条は日本国民の審判を受ける"
という点で、同じなんですよね。
わたしも、国民投票を行って現憲法を承認するか、新しい憲法に変えるかを判断すべきだって考えていますから。
今井さんもそのあたりは同様の考え方のようにわたしは感じています。
つまり、国民投票を行って、新しい憲法が否認された場合、日本という国が始まって皇紀で計算すると2600年以上の歴史があるわけなのですが、日本有史で初めて、現憲法を国民投票により承認した・・・っていう結果が残るわけです。
まぁ、改憲されたとしても実は同じことなんですけどね(笑)
日本が始まって初めて、われわれ国民が憲法を決めることができたっていう結果については^^;
ただ、そのあたりが、実は、大きなターニングポイントになるんじゃないのかなってのがわたしの実感です。
今後国民投票法が制定され、護憲or改憲論はより具体化していくでしょう。
そのときに、十文字さんと森さんの対論の結果が、素地になる可能性ってのはかなりあるんじゃないのかなって思います。
十文字さんと森さんの対論を素地にしてそこを超克した新しい何かってものが、国民のコンセンサスを得られるものになるのかなぁ・・・って、わたしは感じました。
様は苦手なので「さん」でご容赦願います。
>ひいひい言いながら、政治とか関係ない世界で金を稼いで生活して
いる人々を見下しているような論説には、どうしても反発してしまう狭量な私です。
衆愚代表を名乗られた意図にはほぼ完全に同意でございます。
またどこかでキッツイご意見を拝聴したく思います。
ありがとうございます。
実は、私の「衆愚代表」という表記には、以下の通りの意図から付けました。
今回、初公開させていただきます。
『護憲だ平和だと色々と講釈しているけど、普通ごく一般の社会人にもハッタリやゴマカシにしか聞こえないことを言ってんじゃない?
それでいて、「教授」とか「知識人」とかいって、それでご飯が食えるのって何かおかしくない?
こっちは、ひいひい言いながら、政治とか関係ない世界で金を稼いで生活していて、その手の情報なんてそこらの新聞や雑誌や、ちょっとした文庫でしかでしか知りえないのに、どう考えても筋の通らないことばかり言ったりやったりしているんじゃない?
だったら知識で生活している方は、そうでない「愚民」が疑問を持ったり知りたいと言っているのならば、きっちりそれに答えるのが筋じゃない?
そういうわけで「衆愚代表」として私が投稿しますんで、知識のある護憲派の方は、是非答えてください。』
…というわけで「衆愚代表」を名乗りました。
しかし不幸なことに、私の投稿に(しかも好評で)答えてくれたのは、一月の公開討論会でお会いした今井一氏だけだったりします(涙)。
とはいえ、かなりキッツイ投稿で「この人に聞きたい」に出てきた人を批判し、それを掲載させていただけるマガジン9条というサイトには、強く感謝しております。
P.S 「みんなのこえ」No.68 No.72の投稿が特にキッツイと自負しております。
とはいえ、護憲・改憲論の発展の余地は、法学に無知蒙昧な私すらが抱く以下の単純な疑問を直視できなければ、アポリアのままで終わるでしょう。
『「理想主義をバカにして現実主義こそ正しいのだとする動きが強まり…」「本当に、この憲法の何が悪いの? ですね。」などと言い護憲論者は政府や現実主義を批判する。
しかし、現実主義は「国際関係における行為主体(Actor)は単一で合理的に行動する主権国家である。」という理論であり、対する理想主義者(護憲論者)は「国際関係における行為主体は主権国家に限らない(例、国際機関、NGO、個人など)」という反論をするが、憲法(9条)は行為主体である日本国が存在しなければ、存在し得ないものである。
現実主義者の主権国家論を否定しておきながら、その主権国家のシステムに一部である憲法9条のみをピックアップして独立的に機能させることは、例えれば、エンジンを否定しておきながらブレーキを機能させようとすることあり、他人に詭弁と思わせるものではないのか。
そのような批判を逃れたければ、
1.九条は日本国民の審判を受ける。
2.諸外国、国際機関、NGOが九条の思想を採用し、世界平和に対し有益な成果を出す。
3.その他、長谷部恭男的な護憲論など。
といったプロセスや思考が必要ではないのか。
それらの事をしなければ、護憲派の主張はただの「信仰告白」にすぎないといえよう。』
護憲派は、論理的で分かりやすい回答を私に提示して欲しいのですが…。
あいおうさんの今回のエントリーの
>知性を備えていようがいまいが、一票って一票ですよね。
とも共通した認識ではないでしょうか。
いらっしゃいです^^
一応、マガジン9条の初期の頃からロムったり、批評したりしてましたが、ああいう展開になることは予想できましたもん。
森正樹さんが、いろいろなブログであのコーナーへの投稿を呼びかけていらっしゃった時期があったので、護憲側からの投稿が少ないんだろうなぁと、当時、思っていましたから、遅かれ早かれ、終るだろうなって感じていました。
十文字さんの責任ではありませんよ(笑)
十文字さんと森正樹さんの投稿は、今後の護憲・改憲論の発展の素地になる部分がかなりあると思います。
あの各論を乗り越える、共通の認識ができたときに、よりよい方向性が見つかるのかなと思っています。
>まぁ、最後の方はほとんど森正樹さんと十文字さんの対決になっていましたからいたしかたない部分もあるのかもしれません。
申し訳ございませんでした。
謹んでお詫び申しあけます。
一応、都内で働いているので都知事選とはまったく無関係ではないのですが、仕事先の人とかでも"よりまし"な候補として石原さんを支持する方が案外多いんです。
で、主婦の方とかと話していると、エントリで挙げた都立高校の復権ってのが、結構大きなファクターだったりします。
格差社会を"よりまし"にするのは公教育の充実だと、わたしは思うのですが、そういう意味では、学区制をなくした石原都政ってのはもう少し評価されてもいいんじゃないのかなって思っています。
半藤さんに関しては、あの世代特有の情念みたいなものがあるのかもしれません。
戦争の被害者意識と加害者意識のはざ間にある感情を、わたしたちの世代が感じてあげなきゃいけないのかなとも思ったりしています。
ただ、それとこれとは別・・・なんですけど、ね。
「大同団結」のために共産党は候補を降ろせ、って無茶な要求を出した某誌も…。
半藤氏は世情に関する情報が偏ってるんじゃないですかね。
過去の研究はいい線行ってるのに、「富田メモ」の時も飛びついたり。
極端から極端に振れないようにもう少し融通の利く憲法の方がいいのでは、てのが改憲派の大多数の感じてることだと思うんですけどねえ。
